海の底
この街を見ていると
海の底に居るような気がする
大海に飲み込まれた人々には
暦が与えられず
キラキラと跳ねる
女性のうろこで四季を感じているような
息継ぎも満足に出来ないまま
人は追われるように歩き
甘い釣り糸に 群がる欲求を押さえきれず
約束ばかりの未来と不安ばかりの幸福が
やっと降りて来た光のように
大事に 大事にされている
都会を海の底にたとえた見事に美しい詩
美しくも皮肉に描いた光が届かず季節を感じられぬ都会。
否定するわけじゃないけれど、
溢れるモノ、オト、情報や汚いものや、
きっと無意識にいろんな感覚器官を閉じなければやっていかれない。
これは都会に暮らしていた時には気づかなかったけれど、
地方に移り住んだ私が、
時折都会に出るようになってから気づいたこと。
そこにいるだけで、溢れかえるたくさんの情報にくたびれてしまうのだ。
<キラキラと跳ねる
女性のうろこで四季を感じているような>
この比喩が本当に瑞々しくて
素晴らしいと思う。
くるくる変わる女性のファッションから
でしか季節を感じられないということ。
ほんものの光や水や空気から切り離され、
そうするうちに人々には暦を失ってしまう。
私はこの自分の住む町に来て以来、
のびのびと感覚を開いていると思う。
町はひっそりとしてるのに、
景色や空気や草花たちは日々顔を変える。
さえぎる高い建物もない、
開けた空の夕日がとても美しくて
それだけで一日に感謝できるし、
息をのむような澄んだ星空の日には
寒さを忘れてしばし眺めてしまう。
そのことを感じてるだけで飽きない。
<約束ばかりの未来と不安ばかりの幸福が
やっと降りて来た光のように
大事に 大事にされている>
もうこれは何も言いようがないほど秀逸な喩えだ。
海の底に降りてきたささやかな光を
「約束ばかりの未来」
「不安ばかりの幸福」と呼ぶ。
「未来」と「幸福」どちらも本来は
希望や温かさを感じる言葉なのに、
「約束ばかり」と「不安ばかり」と
皮肉な冷たさを加え、
その言葉の温度を下げている。
忙しく常に動いていて、
たくさん消費し、
利潤の獲得をするのが大前提の世の中で
一体何が大事なのだろう。
何が大事にされているのだろう。
そんなことを考えてしまう。
もちろんそれは人それぞれなのだけど。
それにしても皮肉でありながら、
こんなにも儚くて美しい表現は素晴らしい。
最後には「これぞ飛鳥涼」
というしかない詩のひとつ。