みくまり~あの日の言葉呼び起こす

CHAGE&ASKA、ASKAのこと。人生そのものの彼らについてひたすら語る

蝶々

「蝶々」

 

なんであのとき僕から逃げなかったんだろう

 

春が来る

また思い出す

カミソリでさっと引かれるくらいの深さと速さ

それは三十年もの古い傷と新しさを重ねる痛み

 

ただの人数合わせのために呼ばれた野球だった

特別からだの小さかった僕は

バットに振られるように回った

何度振ってもボールが当たらないのだ

三振というルールは僕にはなかった

それでもゲームに参加してる気持ちは強かった

大きなお兄ちゃんたちと混ざり合うだけで満足だった

 

ふいに蝶々が飛んで来たのは

何度目かのバッターボックスであった

ボールよりも白い蝶々は

ひらひらと僕の顔を回りはじめた

 

本当は可愛かった

本当は欲しかった

蝶々が肩にとまってくれればよかった

そうなればあんなことにはならなかった

 

それまで一度も打てなかった打席

どうせ当たらないだろうと

蝶々めがけてバットを振った

何度も何度も振った

お兄ちゃんたちの前では強い男でいたかった

蝶々を欲しがる子供ではいたくなかった

 

何度かの空振りのあとチッという音がした

僕はそれを皮肉なほどのスローモーションで見た

 

歪な弧を描き

跳ねられるように飛ばされた白い物体

みんなのアッという瞬発の声を夕暮れのグラウンドに残し

あたりは静まりかえった

 

温かい地面のうえで震えるようにして痙攣している白い物体は

そのとき何を思っていただろう

なんであのとき僕から逃げなかったんだろう

 

笑って済ませようとしたが笑いにならず

ぼうっと立ったままだった

 

帰り道僕たちは元気だった

だけど誰もそのことを話さなかった

 

春 蝶々

という具合に僕の連想は一つの光景と事実を連れながら

これからも流れて行く

 

 

 

CHAGE&ASKA

「CODE NAME.2 SISTER MOON」散文詩より

 

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この季節にいつも思い出す散文詩

 特に解説はいらないだろう

ショートフィルムのように

一場面が鮮やかに

ありありと目に浮かぶ

まるでこの「僕」になったように

 

胸がチクンとする子どもの頃の思い出

 

ASKAさんの幼少の記憶は

かなりしっかりと残っているそうだ

遠い日の記憶がいつも瑞々しく描かれている

だからだろうか

なんとなく自分の子ども時代と重ねてしまう

同じことを経験したわけでもないのに

 

時々ASKAさんの歌詞や詩に登場する蝶々

(例えば

「風のライオン」

<昨夜(ゆうべ)手元に粉雪が来て冬のチョウチョの姿になった>

「君が家に帰ったときに」

<冬の窓を見て蝶がいると言う 枯れた枝にかかる鳥の羽を見て>

「僕がここに来る前に」

<白い花が空へ昇るみたいな蝶々を取りに行こう>など)

 

それはアゲハのような華やかなものではなく

子どもの頃の目で見たあのかわいくて軽やかな

モンシロチョウがいつも浮かんでくる

どことなく郷愁的な優しさを連れてくるのだ